ゴリ蔵overview


ゴリ蔵参上!
by gori1968
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カテゴリ:ニホンジン( 45 )

江川紹子さんのホームページ

あのオウム事件でも有名な江川紹子さんが、ホームページで今回の人質問題に触れています。ゴリ蔵の意見に近かったので、ちょっと取り上げてみようと思います。

江川紹子さんのホームページ

彼女が言っていることで、一番僕が納得したのは、

>議論の矛先を向ける相手とその手段を、私たちも間違えてはいけない。

ということです。

確かに今回の件で、人質の皆さんは多大な迷惑をかけています。「これも税金から出ているんだ」という方もいらっしゃるでしょう。確かにその通りなのですが、まず、どんな経緯があれ、"命を落とす危険があった"ことは事実です。これを見過ごすわけにはいかないのではないでしょうか。"日本人が安全に豊かに暮らせるように"税金を払っているんじゃないでしょうか。そのためには、政府がきちんと対応する事は当たり前のような気がします。

ただ、彼らも"社会的責任"はあるでしょう(あえて、議論されている"自己責任"という言葉ではなく、この言葉を使います。昨日のブログでも書きましたが、人質だった皆さんが負っているのは、"自己責任"においてということではなく、結果として"社会的責任"を負う事、だとゴリ蔵は思っています)。例えば、できるかどうかは別にして、今回の救出費用を負担するとか。これは"社会的責任"に対しての責任の取り方の一つだと思います。これをどのようにとるのかは大事でしょう。

しかしながら、彼らは人質にとられた被害者であり、その立場は"非難を受ける"中心の対象ではないはずです。もっと本質的に議論しなければならないことはあるはずです。

それは、"これからどのように日本と日本人は問題に立ち向かっていくか"ではないでしょうか。イラクへ仕掛けた戦争のアメリカの大義名分も形骸化しつつあり、そして、イラク現地では自衛隊の受け入れをよしとしていない人もいて、スペインなどの国々が撤退を表明して、ますます"アメリカ寄りの国家"として日本は見られ、危険が増すのではないか、と危惧しています。もしかしたら、このような動きの中で日本国内でもテロが起こる可能性も高くなっているはずです。

我々のやるべきこと、そしてリスクと、国際社会の中での日本としての立場、色々なものを考え議論すべきときにきているように思うのです。すでにイラクでは2人の日本人外交官が殺されている事実、このような犠牲者を増やさないためにも。

まだまだゴリ蔵もどのようにすべきか分かりません。でも、色々と議論して、自分達の考えをまとめていきたいと思っています。


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PS :
本日帰国した2人の人質の方の一人がインタビューされていましたね。その内容でひっかかったコメントが、この世論の中で、両親との会話で「自分はイラクでこれだけのことをやってきた」とマスコミの前で声を大にしていったこと。僕の聞き間違いでなければ、フジテレビの流したインタビューで「政府は助けてくれないと思っていた」

どのような意図で仰ったのか分かりませんし、断片的な情報の中での発言は危険かもしれませんが、"社会的責任"において、少なくとも日本国民を刺激する発言は控えるべきだったのでは、と思います。ご両親が言っていましたが、少なくとも「まず詫びる」ことが大事だと思います。

思想は自由だし、自分のやりたいことを貫くのは大事ですが、迷惑をかけたらそれを詫びる、という姿勢が大事だと思うのと、このような発言により、今回の人質の方みんなが同じ目で見られてしまう、この立場にいることだけは理解してほしい、そう思います。

日本が間違った方向にいかないためにも、、、、、
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by gori1968 | 2004-04-21 00:22 | ニホンジン

植草一秀事件で思う事

植草一秀

イラク人質問題も自分の中ではまだ釈然としませんが、ちょっとここで違った話題を。。。植草一秀、、、、先日女子高生のスカートの中を"手鏡"というローテクで"覗き見"し、逮捕された。

野村総研出身で現早稲田大学教授が、である。
"社会的責任"のある立場の人、である。

顔写真つきで掲載されているので、どこかで見た事ある人はたくさんいたと思いますが、、、経済界では著名で、一部では次期官僚候補、とまで声が上がっていた人です。

しかし、、、、なぜそのような人がこんな醜態を、、、です。

そんなに見たかったら、お金を払って風俗店にでもいったほうがよっぽどましです。これなら一応合法ですからね。しかし、そのような学がある方がなぜ"手鏡"でしかも"女子高生"でさらに"スカートの中"なのでしょう。。。。それほどまでに追い込まれるものがあったんでしょうか。。。。ある意味性癖なのでしょうね。

人には自分の知らない自分がいる、ということもあります。しかし、人間はそれをとどめなければいけないのでしょうね。彼はもしかしたら、犯罪である、という自覚さえなかったのかも知れません。

最近多いですよね。アブノーマルな人が。小学生、中学生の裸を見て、何が楽しいのでしょうか?今日も男性が"男の中学生に1万円を渡して猥褻行為を働いた"という記事。。。想像するだけで反吐が出ます(+_+)どこかで精神的に歪んでしまったんでしょうね。

"信用""信頼"この言葉の重みは相当なものがあります。
一度失った信用は、自分が大きくなればなるほど取り戻す事が難しくなります。それだけ「社会的責任」が大きくなっていくのでしょう。

こんなジョークも聞こえてきます。

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女子高生のスカート  ¥8,000-
手鏡  ¥800-

失った信用     Priceless

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ちょっとパクリですが。。。。


今回のイラク人質事件も、「自己責任」という表現ではなく「社会的責任」という表現のほうがしっくりくるのかも知れませんね。
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by gori1968 | 2004-04-19 22:36 | ニホンジン

"自己責任"の語源

mugenさんトラックバックありがとうございます。

すごいですね。私もまだまだ勉強不足だなぁと感じます。
とても面白い記事だと感じたので、トラックバックさせてください(レベルついていけるか自信がないですが、、、)。

>ここで桜井氏は、自己責任原則という言葉は、競争原理と対になって用いられており、消費者保護のための規制を緩和することの利益は、消費者の側にはなく、競争する企業の側の経費削減に利するだけであるとも書いています。

これって裏を返せば、「規制緩和は消費者に対して"利益"を与える環境を作ってあげるから、そのかわり、何かあったらそれは消費者が考えろ」という、言ってみればExcuseに聞こえるのですが、そういうことですよね。国に守られてきた(例えば公共事業はあえて競争原理をなくし、提供サービスの品質を守ってきた)事業を開放するから、そのかわり何かあったら消費者にしわ寄せが行くよ、でもトータルで見ればメリットがあるんだからいいじゃない、という感覚を持っていました。なるほど、と納得。

今回の件で、ゴリ蔵が個人的にすごく思ったのは、"公人"である方々が「自己責任」という言葉を連発して彼らを非難していることです。前述の考えに当てはめると、例えば規制緩和で競争が激しくなってしまって、どこかの会社が潰れたとします、その会社から消費者が損害を被ったら、「そら自己責任だ」と言うんでしょうか?

そうであれば、もっと「規制緩和」による「想定できるリスク」もきちんと公表すべきですよね。いや、自分も含めて、国民は勉強をするべきなのかも知れません。

ちょっと難しいことですが、ゴリ蔵もせっかくの機会なので、色々と勉強してみようと思います。
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by gori1968 | 2004-04-19 00:29 | ニホンジン

人質問題で思う事

「自己責任」というコトバ
sofia_ssさんのトラックバックです。

今回の人質問題は、色々なことを残したような気がします。ゴリ蔵も正直どうするべきだったか、何が正しかったんだか分かりませんが、今世論で叫ばれているような"批判"に対して何かが違う、という気がしているのです。

「自己責任」
すごく寂しい言葉ですよね。確かに、みんなが心配している中で、助かって何も周りの状況が見えていなかった中で「嫌なこともあったけど、続けます」との発言は、僕も"おいおい"とは思いました。しかし、それを受けて、小泉さんが公の場で批判したり、助かったあとに各方面から批判が出てくるのはいかがなものなのでしょうか?

「今回は助けてやったけど、そんなことしたくなかったんだよ。馬鹿なことしやがって」

確かに本音ではそうだと思いますが、すごく国民の一人一人を大切にしていないような発言に聞こえたのは、僕だけでしょうか?

責任の取り方はあると思います。自分の意思で出向いて、そして結果的に(多分本人達は思いもしなかったでしょうが)拉致され、国を巻き込んで色々な人に迷惑をかけた。これに対しての責任の取り方はあると思います。例えば、雪山で遭難したら、その捜索費用は自分持ち、電車に飛び込んで電車がストップしたら、損害費用は自分持ち(本人が死んでしまったら、という場合は親族とか)ですよね。費用についての責任の取り方はあると思います。

ただ、彼らがやっていること自体がまずい、という批判まで飛び交ってくるのはいかがなものでしょうか?「自衛隊がおまえらに代わってやってやるんだから勝手に手を出すな」そう言っている様にしか聞こえません。

「我々は日本人を友人だと思っている。そんな日本人を傷つけたくない。でも、自衛隊は出て行ってくれ」。後で開放された2人に託されたメッセージが、イラク国民の総意だとしたら、、、何のために自衛隊は派兵されているんでしょうか。

今回、万が一無事に帰ってこれなかったら、周りは一体どのような評価をするんでしょうか。当然のことながら、小泉さんの発言も、政府高官の発言も、否定的にはならないですよね。多分。なんか「無事に解決したから本音でいってしまった」ように聞こえてならないのです。日本国民を守れない政府が、もっとやり玉に挙げられている自衛隊を果たして守れるんでしょうか?現地でもっと戦火が激しくなったら、自衛隊隊員が拉致されたら?それは、「政府の自己責任」なんですかね?(+o+)

「命の尊さ」
今回の一連の周りの反応は、これが軽視されているように感じているのは私だけでしょうか?命の危機に遭ったから必死で手当てして、大丈夫になったら批判って、自衛隊の派兵された隊員の方がどのように決められ、それぞれが個人としてどのように感じているかは分かりませんが、個人としては「イラクへ行くのが嫌」だった隊員さんだったらこの一連の事件を聞いてどう思うのでしょう?

いずれにしても、5人の日本人の命が無事で、何よりです。

次に気になるのは、戦火が大きくなり、自衛隊に危機が迫った時です。切羽詰った事態になったとき、政府はいつ撤退を決めるんでしょうか?このままでは、隊員の中に死亡者が出ても撤退はしないような気がします。

そうなれば、戦争ですよね。少なくとも派兵されている人たちにとっては。そんな状態が続いて、「永世中立国」としての本質が見失われないように祈るばかりです。
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by gori1968 | 2004-04-18 22:40 | ニホンジン

教育について

教育に関して

今日はどうも乗っているようで、久し振りにブログ更新です。最近さぼっていたからなぁ。sofia_ssさんの記事を読んでいたら、とても感ずるものがあったので、、、。

最近"ゆとり教育"と言っていますが、確かにうまく機能していないと思うのです。sofia_ssさんが言っているような「教師の質」確かに問題だと思うのです。その理由はゴリ蔵は、

・教師そのものが"ゆとり"がない
・学校という閉鎖的な組織で人生を送っている教師そのものが、現実世の中と隔たりがある

という風に思うのです。もちろん、教師全てがそういう人ではありません。ただ、一般的にはそのような形になりがちであるということが言えます。

もうひとつ、sofia_ssさんのご指摘で、「学校と家庭両方が上手く回ること」というのがありますが、本当にその通りだと思います。みんな「学校」というものに期待しすぎなんではないでしょうか?そもそも、一番大切なのは「愛情を持った家庭」なのではないでしょうか。家庭があって、そこを土台にして「学ぶ」。それを一緒にしてしまうことが現在の学校教育を混乱させているひとつの原因のような気がします。

実はゴリ蔵は大学時代先生になろうと真剣に考えていました。そして、教職課程の単位を取得していたのですが、その過程で「違うな」と思う出来事がありました。

「性教育のあり方」についての議論が学生の間で論じられていました。「性教育はするべきか」「いやしないほうがいい」とか、様々な議論がありました。肯定派も否定派も、「やるんだ」とか「やらないんだ」とか、挙句の果てに「学生で性交はナンセンス」などと発言される方もおり、、、、「こんな中で自分は果たしてやっていけるだろうか」と感じて、最後に教員になることをやめて、自分は世の中に出ました。実体験をして、勉強をするために。どうもみな"机上論"で教育を語っていて、頭で教育を論じているような気がしたからです。そんな教育に何が意味があるんだろう。型にはめるのではなくて、"個々の子供なりに"成長していけばいいんじゃないか、と今でも思っています。

「教育」っていうのは「経験をサポートするもの」だとゴリ蔵は思うのです。勉強をしても、それを生かす場がなければ意味がないですよね。いくら微分積分を勉強しても、世の中に出て使うことがどれだけあるのでしょうか(ある人も勿論いますが)。大抵は加減乗除だけで乗り切れるはずですよね。

人間は経験をして成長する生き物です。痛い目に遭ったり、嬉しかったり、悲しかったり、、、、そんな経験をすることが一番の勉強なんではないでしょうか。でもその勉強とは、「知らないことがあって道を踏み外さないように」そのために勉強をする、そういう場所として学校があるのではないでしょうか。

確かに万人を同じように育てることは難しいことです。でも、心に響かない勉強では意味がないし、「ゆとり」というコトバが一人歩きをするのも良くない。一人一人が"それぞれ"自分のペースを持って"学ぶ"ことができる場所でいてほしいものです。

そんなゴリ蔵は「やっておけばよかった!」と後悔することばかりですが。。。。。
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by gori1968 | 2004-04-14 23:31 | ニホンジン


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